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​宗教に不安を持たれている方へ

私(道代先生)は金光教の信心を頂いている一般家庭で生まれ育ちましたが、熱心に信心していたのは曾祖父母であり、親も私も金光教のこと、御教会のこと、信心のことはよくわからないまま、ご葬儀の時にお世話になったり、お正月にお参りしたり・・・というくらいの感じでした。

金光教とはどういう宗教なのか、どういう信仰なのかということをちゃんと理解したのは20歳を過ぎてから。大学在学中にうつ病になり、一分一秒を生きるのが辛く、どうして私は生まれてきてしまったのだろうと苦しみ悩んでいた時に金光教のある先生に出会いました。その先生はうつ病を克服された方でもあり、はじめは「うつ病の先輩に相談する」ような気持ちで御取次をいただきはじめました。

その先生から、いのちについて、神様について、信心について、またお供えについても一から教えていただきました。それは目からうろこが落ちるような、知れば知るほど、メディアで取り沙汰されている「宗教は恐ろしい」というイメージとはかけ離れたものでした。

宗教というと、どうしても「怪しい」「怖い」「騙されるのでは」というイメージが先行しがちな現代です。私自身も、宗教に関する誤った情報を信じ込んでしまった方から非難を受けたことがあります(^^;)とても親しい方だったので言葉にできないほどショックでした……。

しかし、私も恩師である金光教の先生に出会わなければ金光教のことを何も知らないままで、もしかしたら人生のどこかで実家の信仰に対して不安に思うことがあったかもわかりません。

金光教は全国に1500ほどのお教会があり、お教会によって独自の取り組みなどをされているところもありますが、基本的にどこでも共通していると思われることを少し書かせていただこうかなぁと思います。少しでも心配や不安の解消につながればと思います。

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  お守りやお札などはありますか。なにか購入を勧められたりしませんか。

 

金光教には販売される類のお守りやお札はありません。

御結界で御取次をいただいた際に御神米(ごしんまい)をお下げ頂くことがあります。(私は御神米さまとお呼びしております)

御神前にお供えさせていただき、祈りを込めさせて頂いたお米が和紙に包まれたものです。一粒万倍という言葉がありますが、お米は一粒から稲穂になり万倍に増えるという意味があります。体調が悪い時に御願いしながら一粒頂いたり、毎朝その日の無事を祈って一粒頂くという方もおられます。

御広前に掲げてある額は「天地書附(てんちかきつけ)」といいます。江戸時代に宗教の取締り(弾圧)が厳しくなり、金光教の教祖である赤沢文治さんは御広前で御取次をすることを禁じられた時期がありました。それでも人々が教祖さまの元へ、助けて欲しい、御取次をいただきたいとお参りに来られたため、教祖さまは神様からお知らせを頂かれた内容を書きつけて渡されました。それが天地書附の内容です。お守りやお札というものではなく、目につくところに貼って自身がよく心がけることを大切にするように教えられました。

 

一日一日、何事も神様と金光大神様に一心に願い、自分自身は和賀心(わがこころ=新年を迎えた時のような喜び和らぐ心)でいることを心がけることで、おかげがいただけるという内容です。

教会参拝をされた際になにか購入を勧められるということはありません。

御本部の教徒社というところで拝詞集や教団に関連する書籍などは販売されております。

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  生活上の決まりや戒律のようなものはありますか

 

ありません。

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  勧誘が心配です


教祖さまは信仰について「振り売りをするな」と残しておられます。振り売りとは江戸時代に桶やカゴを天秤棒で担いで売り歩くお商売のこと、いわゆる行商をイメージしていただけたらと思います。個人宅を訪ねて勧誘したりするようなことはしないようにという意味です。ですので自宅や関係先などに勧誘に訪ねていくようなことは一切ありません。

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  金光教には「金」という字が入りますがお金と関係がありますか

 

教祖さまは「金光とは金(きん)光るということである。金は金乃神の金、光は天つ日の光である。天つ日の光があれば明るい。世界中へ金乃神の光を光らせておかげを受けさせるということである」と伝えておられます。

金乃神とは天地金乃神様のことです。金光とは神様のあたたかい光、ご愛情を意味すると言えます。

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  金光教のご葬儀はどのようなものですか

 

ご葬儀は故人が生前に受けたおかげについて神様に御礼申し上げ、御霊(みたま)としての立ちゆきを神様にお願いさせて頂くお祭りです。

【終祭(しゅうさい)】

祭主が故人になり代わって、神様に生涯の御礼を申し上げ、御霊としてのここからの立ち行きを御願いさせて頂きます。

【告別式】

故人に対し、関わりある人々がお別れをさせて頂きます。

【火葬の儀】

火葬場にて故人の肉体にお別れを申し上げます。

【葬後の儀】

新霊神(しんれいじん)に対して、葬儀が終わったことと新霊神としてお祭りする旨を奏上させて頂きます。

その後、10日ごとの旬日祭(じゅんじつさい)、50日間新霊神としてまつらせて頂いた御霊をご先祖の御霊に合わせてまつらせて頂く合祀祭(ごうしさい)というお式があります。


 

金光教のご葬儀では故人の生涯の御礼を神様に奏上させて頂くため、祭祀(さいし)には故人の生い立ちやお人柄などをできるだけ入れさせて頂き、丁寧に作らせて頂きます。

会葬者の皆さんと共にお唱えする拝詞は、お教会によっては冊子やコピーを配布されるところもありますが、分からない場合はお唱えせずとも心の中で故人を偲ばせて頂きながら、生前の御礼や御霊としての立ち行きの御願いを神様に申し上げさせて頂いたらよいと思います。

終祭と告別式では会葬者は玉串をお供えさせて頂きます。玉串奉奠(ほうてん)の作法はWEBで検索すれば出てきますが、金光教では柏手の回数が違います。

一礼 → 四拍手(忍手…しのびて。音を立てずに手を叩く) → 一礼

となります。

 

柏手は終祭から火葬が終わるまでは忍手(音を立てない柏手)になります。

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  金光教のご葬儀では、仏教でいうお香典のようなお包みの表書きはどのように書けばいいですか

 

「御霊前」もしくは「御玉串」と書かせて頂いたらよいと思います。

なんとなく思いつくところを書かせて頂きました(^^)

また追加していくかもわかりません。

​(2021/08/17更新)

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